仙台市若林区の診療所  医療法人社団太陽会 仙台在宅支援たいようクリニック 【訪問診療・往診・予防接種】
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院長ブログ


 第135話 羨望の的
投稿:院長

Aさんは、90歳を過ぎてから、事故や病気で全身に数々の大手術を受けられましたが、そのたびに見事に回復され、今も元気に生活しているスーパーおばあちゃんです。

 

そして、東京オリンピックのテレビ観戦に備え、昨年から着々と体の“手入れ”を行っていますが、その結果、同じデーサービスに通っている友人達から「羨望の的」になっているのです。

 

眼科で白内障の手術を受けたAさんは、「よく見えるようになった!」と友人に喜びの報告したところ、「あら〜いいわね!私も眼科に行きたい!」

 

皮膚科で顔の大きなイボを取ってもらったところ、それを見た友人から「あら〜いいわね!私も皮膚科に行きたい!」

 

耳鼻科で大きな耳垢を取ってもらい、「よく聞こえるようになった!」と再び友人に報告したところ、「あら〜いいわね!私も耳鼻科に行きたい!」

 

Aさんが行く病院は、このデーサービスに通う高齢者の行列ができるかもしれません。

 

しかし、よく見えるようになった当の本人は、「私の顔って小じわだらけだったのね」とちょっぴりがっかりしているそうです(笑)。

 

果たして、Aさんの小じわの運命はいかに・・・。

 

もしかしたら、次は「あら〜いいわね!私も美容整形に行きたい!」なんて、羨望の眼差しで見られることになるのかも?


2020年2月7日(金)

 第134話 信じる力
投稿:院長

患者さんには、キリスト教など特定の宗教を信仰されている方もいらっしゃいますが、信じる力というのは、患者さんの心の大きな支えとなっていることを実感します。


そのような患者さんは、気持ちにゆとりがあり、慈悲の心に満ち、学ぶことが多いのです。


中には、高齢で体が不自由となっても、教会で行われる礼拝に毎週出席される方もいて、信者同士が教会を中心とするコミュニティーを作って支え合っているようです。


日本では、仏教が日常生活や行事にも浸透していますが、多くは信者というわけではなく、また信者であったとしても、コミュニティーを形成して、一緒に活動することは少ないと思います。


仏教でいう「仏様」というのは、神を指すものではなく、人は誰でも悟りを開いて仏になれる素質があり、「仏教とは、人が仏になるための教え」と言えます。


一方、キリスト教には、万物の創造主である絶対的な神が存在し、「キリスト教とは、その神への愛、隣人愛を通して、神からの救いを得るための教え」と言えます。


したがって、「仏教の信者は仏を目指す修行者であり、その活動は個人を基本としている」のに対し、「キリスト教の信者は神に祈り、お互いを助け合う存在として、その活動は教会を基本としている」と言ってよいのかもしれません(もし、間違っていたらご指摘下さい)。


信仰している患者さんの診察を通して、宗教が、信仰しない人や他の教義をも尊重し、人々の幸福の実現を目指しているのなら、人がつながりを持って生きていくための理想的な一つの形なのかもしれないと感じています。


日本には、数多くの寺院や神社があり、参拝したり、祈願するために人々が訪れたりしますが、残念ながら、そこでコミュニティーが形成されることは少ないと思います。


そこで、寺院や神社も教会のように、人々がコミュニティーを形成し、声を掛け合う場所として利用できたら・・・なんて考えたりもしています(冷暖房完備にしないと、人が集まったりしないかもしれませんが・・・)。


戦乱の世を生き抜いた伊達政宗公の遺訓の一つに、「信に過ぐれば損をする(人を信じるばかりではだまされて損をする)」とあります。


私自身は信仰している宗教はなく、仏になろうと思っているわけでもありませんが、「人を信じてもだまされない、幸せな気持ちで過ごせる世の中になることを信じていたい」と思います。


2020年2月4日(火)

 第133話 性格は正反対だけど・・・
投稿:院長

私が見てきた仲の良いご夫婦には、趣味も性格も全く正反対というカップルもいらっしゃいます。

 

ある高齢のご夫婦ですが、昔から夫は無口で几帳面、妻は明るくおしゃべりでちょっぴり大雑把で、全く性格が正反対なお二人です。

 

このご夫婦ですが、妻はいろいろな物を自宅に持ち込んでは保管し、夫はなるべく物を貯め込まないように処分していたそうです。

 

何を保管して何を処分するのか意見が分かれ、たくさん喧嘩があったようですが、妻の物忘れが進むにつれて夫が優勢になり、今では部屋の中はゴミ一つなく、きれいに片付いています(笑)。

 

おかげで、床には一切の障害物がなく、足腰が弱くなった妻にとって、とても歩きやすいのです。

 

現在は、夫が妻を介護するようになり、お風呂では妻の体を丁寧に洗い、整理整頓は部屋の中だけでなく、妻の体の隅々まで及んでいます。

 

さらに、妻の身の回りの世話をすることが夫の生きがいとなり、自分の心の掃除・洗濯までされているのです!

 

このご夫婦のように、お互いにないものを補い合って、いつまでも仲良く生活できるって素晴らしいと思います。

 

もし、夫が妻のように、いろいろな物を自宅に持ち込んで貯め込む性格だったら・・・今頃自宅はゴミ屋敷?


2020年1月31日(金)

 第132話 ゆるやかな気持ち
投稿:院長

私が担当する患者さんを介護されているご家族の皆さんは、献身的な方が多く、いつも頭が下がる思いでいます。

 

しかし、一生懸命過ぎて疲労が溜まっている方も多く、「何でも100パーセントを目指す必要はなく、60点か70点ぐらいで良しとしましょう!」とアドバイスしています。

 

日本人は几帳面で、何でもきっちりやらなければ気が済まないという人が多いような気がします。

 

また、人間関係においても、几帳面さを相手にも求めすぎ、その関係がぎくしゃくすることもあるでしょう。

 

明治大学文学部教授の齋藤孝さんの知人男性で、結婚相手に求めるものとして、ほかの条件には一切こだわらず、「健康」「明るい」「料理がうまい」の3つの条件が揃った女性を見つけて、「うちの奥さんは最高だ!」と公言し、とても幸せな生活を送っている方がいるそうです。

 

結婚相手に求める条件には、「容姿端麗」「上品」「教養がある」「聞き上手」「趣味が合う」「献身的で優しい」「両親と仲良くできる」・・・などきりがありませんが、求める基準をシンプルにして自分が納得できる条件がいくつか揃っていればそれで十分に幸せ、という気持ちの持ちようは、とても大切だと思います。

 

ちなみに、患者さんを介護するご家族を数多く見てきて、私自身がとても良い!と思える家族の条件には、「思いやりがある」「ユーモアがあって明るい」「笑いが絶えない」です。

 

相手を思いやりつつ、ちょっとやそっとで深刻にならずに笑い飛ばす!そんな気持ちのゆとりを持ちたいものです。


2020年1月28日(火)

 第131話 善は急げ・電話急げ
投稿:院長

近年、高齢夫婦2人で生活していたり、独居の方が非常に増えています。

 

訪問診療では、こうした高齢者の心の内を感じることが少なくありません。

 

ある患者さんは、「友達から掛かってきた電話がとても嬉しくて、ついつい長電話してしまいました!」とニコニコしながら語って下さいました。

 

また、ある患者さんは、「お正月に娘から電話が掛かってきて、いろいろと世話を焼かれたのよ!」と世話を焼かれたことを、むしろ嬉しそうに語って下さいました。

 

普段は気丈に生活しているようでも、本当は寂しい思いをしながら信頼する人の電話を心待ちにしているのです。

 

ということで、私から患者さんへのアドバイスは、「掛かってきた電話の通話時間は長めに、自分から掛けた電話の通話時間は短めに!」です(笑)。

 

皆さんの中に、しばらく話していないけど大切な人がいたら、「善は急げ」ということで早速電話してあげてください!

 

そして、大切に思う気持ちを伝え、ちょっぴり電話料金の負担をお願いいたします。


2020年1月23日(木)

 第130話 医者が病気になる時
投稿:院長

私が医学生の頃、体調を崩した時に「病気を経験することでよい医者になれる」と先輩から言われたことがありますが、医者も様々な病気を経験します。

 

そして、自分が専門にしている病気のために、治療や介護が必要になることさえあります。

 

私の心に今も強く残っているのは、ある大学の教授をされたA先生です。

 

ある分野の専門医として長年活躍されてきましたが、ご自身が専門にしている病気が関係し、医療介護が必要になりました。

 

そして、医師として自分の病状を理解し、自らの運命を受け入れ、自宅で余生を過ごしたいという意思を示し、在宅医療を選択されました。

 

私が初めてお会いした時は、その肩書に緊張しましたが、権威を振りかざすことなく、私を含めたすべてのスタッフに対し、笑顔で迎えて下さいました。

 

そして、ご自宅では心穏やかに過ごし、ご家族や私たちが行うすべてのケアに対して口をはさむことなく温かく受け入れ、最期は最愛のご家族に見守られながら旅立たれました。

 

A先生は、人としての尊厳とは何なのか、身をもって示そうとされたのではないかと思います。

 

長年、認知症研究の第一人者であった長谷川和夫先生。

 

数年前、ご自身が認知症であることを公表されました。

 

長谷川先生は、認知症の早期診断を初めて可能にした長谷川式簡易知能評価スケールを開発し、痴呆症から認知症への名称変更を主導した大変有名な方です。

 

長谷川先生は言います。

 

「認知症になったことで、自分は本物の認知症研究者になれた」と。

 

様々な不安や葛藤と闘いながら、この心境にたどり着いたのは、認知症になったことで失うことばかりではなく、認知症になったからこそ得るものがあったからだとおっしゃいます。

 

それは、家族と過ごすかけがえのない時間、人とのふれあいや人に対する感謝の気持ち、認知症になったことで初めて気づくことができた感覚・・・。


そして、認知症研究への情熱、他者を和ませようとするユーモア精神は今も変わることがありません。


長谷川先生の姿をみて共感したことがもう一つあります。

 

それは、書斎は散らかっているほうが、気持ちが落ち着くということです!


先生は、認知症を生きるとは何か、自身のライフワークの集大成として示そうとされています。

 

医者と患者の両方を経験したからこそ発せられる、かけがえのない言葉の一つ一つを受け取っていきたいと思います。


2020年1月18日(土)

 第129話 限りあるからこそ・・・
投稿:院長

忙しくしていると、「1日がもっと長かったらいいのに!」とか、もっと欲の深い人だったら「時間が無限にあったらな〜!」とか考えてしまうことがあります。

 

しかし、もし人が無限の時間を手に入れてしまったらどうなるでしょうか?

 

やらなければいけないことが先延ばしになってしまい、人として堕落してしまうかもしれません。

 

努力することが疎かになり、人生の輝きが失われてしまうかもしれません。

 

学生の頃にしかできないこともなくなり、青春という言葉も生まれなかったかもしれません。


自分を見つめ直し、やりがいや生きがいを見つけようとする努力が失われてしまうかもしれません。

 

思い出が無数にありすぎて、その感動が薄まるかもしれません。

 

過去の失敗をいつまでたっても反省せず、社会や文明が発展しなくなってしまうかもしれません。

 

政治が間違った方向に進んだとしても、時の権力者がいつまでたっても交代せず、健全な民主主義が実現できないかもしれません。

 

先人達が築き上げた知恵、教え、芸術が受け継がれなくなってしまうかもしれません。

 

家族の絆が薄くなり、お互いを労わったり、気遣ったり、敬ったりしなくなるかもしれません。

 

人の生き様を語ることがなくなってしまうかもしれません。

 

家内安全、無病息災を祈ることもなくなり、どんと祭がなくなってしまうかもしれません(昨日、薬師堂に行きました!)。

 

命の重みが失われて、私はワーキングプアになっていたかもしれません。

 

人は、時間に限りがあるからこそ実現できること、成長できること、受け継ぐことができることがたくさんあるのです。


だからこそ、限りある時間を大切に、精一杯生きていきたいものです。

 

でも、やっぱり時間が足りない・・・せめて1日が25時間にならないかな・・・なんてありえない妄想は無限大?です。


2020年1月15日(水)

 第128話 度肝を抜かれる
投稿:院長

皆さん、おばんでがす。

 

今日は、私が宮城県で訪問診療を始めてから、度肝を抜かれた方言のいくつかをご紹介します。

 

「ぴーちゃんにごしゃがれたちゃ」

「ぴーちゃん」というのはインコの名前で、「インコがうるさくてほどほど困り果てた」という意味だと考えたのですが、そのお宅には「人間」しか住んでいないので、よく聞いてみると、「ぴーちゃん」というのは「ひいおばあちゃん」のことで(宮城ではひいおじいちゃんもぴーちゃんと呼びます)、「ひいおばあちゃんに怒られた」という意味です。ちなみに、ぴーちゃんは「おっぴさん」の略で、小さな子供が呼びやすいようにぴーちゃんと呼ばれるようになったようです。ひいおばあちゃんのことを「おっちゃん」というのはやはり変ですから(笑)。

 

「はらっぴりでうんこつまったや」

「はらっぴり」というのは、武家の名残で、「腹切りしたいほどうんこが詰まって苦しい」と勘違いして、早く便を出してあげなきゃと思ったのですが、「はらっぴり」というのは「下痢」、「つまる」というのは「便をもよおす」という意味で「下痢で便が出そうだ」という意味です。こんな患者さんに対して間違っても浣腸してはいけません。

 

「ちょぺっとうたてー」

「ちょっぴり歌いたい気分だ」という意味に勘違いして、「どうぞ遠慮せずに歌って構いませんよ〜!」と伝えようと思ったのですが、実は「ちょっぴり気分が悪い」という意味だそうです。気分が悪い人に向かって歌っていいですなんて言ったら、変な医者だと思われていたことでしょう。

 

「おしょすいごだ〜」

「お小水(おしょうすい)がしたい」つまり、「おしっこがしたい」という意味だと勘違いして、「我慢しないでトイレへ行ってください」と伝えようと思ったのですが、実は「恥ずかしいことです」という意味だそうです。危うく、私の方がおしょすいごだ〜になるところでした。

 

「やんだくなってがおった」

「病んでしまって怒った」と自暴自棄になってしまったのかと心配したのですが、「がおる」は「疲れる」の意味で、「いやになって疲れた」ということです。ちなみに「こわい」は身体的疲労を指し、「がおる」は身体的疲労+精神的疲労を指すようです。

 

「あぐどいかいかするっちゃ」

「悪童がいかをたらふく食べる」と思ったのですが、実は「かかとがチクチクする」という意味だそうです。体に違和感がある場合は「いずい」と表現する場合もあります。ちなみに、今まで一番衝撃を受けた身体用語は、「肛門」=「けつめど」です(笑)。

 

皆さん、次もまたこのブログさ、来てけらいん。



2020年1月10日(金)

 第127話 ベートーベンに聴かせたい曲
投稿:院長

あけましておめでとうございます。

 

年末は、NHK交響楽団による第九の演奏を、第一楽章から第四楽章まで通して聴く機会がありました。

 

第九は、作曲したベートーベンの生涯や葛藤、当時のフランスやオーストリアの社会情勢など、この曲ができた背景を理解して聴くと、一層味わい深いものになります。

 

当時のヨーロッパは、王侯貴族により、一般市民はその権利が制限され、貧しい生活を余儀なくされていました。

 

そんな中、貴族の娯楽ために作られていた楽曲を、自分の感情を表現する芸術として一般市民にも開放したのがベートーベンでした。

 

第九は、ドイツの詩人シラーの「歓喜に寄せて」という詩が創作のきっかけとなり、一般市民による自由と平等という理想の社会を実現するという決意が込められた曲です。

 

そして、難聴や絶望に苦しみながら創作活動を続けたベートーベンが、忍び寄る死を感じながら、自分の集大成としてのメッセージを、一般社会に向けて発信したものです。

 

第九は、第一楽章から第四楽章まで60分以上続く大作ですが、ベートーベンの波乱に満ちた生涯を感じさせるように、重厚な旋律から軽快な旋律を繰り返しながら、シラーの詩にある「歓びの奇跡の力は引き裂かれたものを再び一つにして、歓びの優しい翼の下で、すべての者は兄弟となる」の大合唱で壮大に締めくくられます。


今年はベートーベン生誕250年です。


第九が、今でも全世界で演奏されていることをベートーベンが知ったら、「俺ってなかなかやるじゃん!」と感動するかもしれません。


話は変わりますが、大みそかは紅白歌合戦を楽しみました。

 

特に印象的だったのが、五木ひろしさんの「VIVA・LA・VIDA!」と、竹内まりやさんの「いのちの歌」です。


「VIVA・LA・VIDA!生きてるっていいね♪」

「いつかは誰でもこの星にさよならをする時が来るけれど、命は継がれてゆく♪」

「生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう この命にありがとう♪」

 

この曲、ベートーベンにも聴いてもらいたかったな〜。


2020年1月7日(火)

 第126話 「サンタクロースっているの?」
投稿:院長

クリスマスの日には、大切な人へのプレゼントを何にしようか迷った方もいらっしゃると思います。

 

私の場合、サンタクロースのふりをして毎年子供たちにプレゼントをするのですが、今年は金額交渉がまとまらず、いまだにプレゼントできていません。

 

100年以上前、ニューヨークに住む8歳の少女が、大手新聞社に「サンタクロースって本当にいるの?」と質問したところ、この新聞社はその回答を社説の中で大きく取り上げ、この社説は、いまだに数々の場面で取り上げられるそうです。

 

その有名な社説の内容を簡単に要約したいと思います。

 

はい、サンタクロースはいます。

もしサンタクロースがいなかったらどんなに世界はわびしいことでしょう。

彼は、愛と寛大さと献身が存在するのと同じくらい確かに存在します。

サンタクロースが見えなかったとしても、サンタクロースはいないという印にはならないのです。

最も大切な事柄は、ベールで覆われて誰の目にも見えない世界にあるものなのです。

その世界は、今まで生きた最強の男たちが力を合わせても引き裂くことができません。

ただ、信じる心、空想、詩、愛、ロマンだけがそのカーテンを追いやって、向こう側の美しいものと輝くものを心の中で眺めることができるのです。

サンタクロースは生きています。そして永遠に生き続けるのです。

今から千年後、いや、一万年の10倍あとも、彼は子供たちの心を喜ばせ続けるでしょう

 

この社説では、サンタクロースというのは、愛と寛大さと献身さの化身で、人間にとって本当に大切なものは目に見えないものだ、と説いています。

 

その大切なものは、どんな時代も、これからも永遠に人間にとって大切なものであり続けるのです。

 

というとこで、値段交渉がまとまり次第、子供たちに“愛と寛大さと献身”を示したいと思います。

 

新しい年も、多くの人が心の中のサンタクロースに出会えますように。


2019年12月29日(日)

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